2018年6月21日木曜日

知床といえば

日本語のニュースで、「知床が世界遺産に登録」を知ってから、

もうかれこれ12年か13年ほど経ちました。

すでに一昔前ですね。


知床といえば、自転車ツーリングでも人気の場所らしいです。


もういまから、45年程前の話になりますが、


当時中学生の分際で、片倉シルク キャンピングの


スペシャルオーダー車にのって、(当時の片倉シルク


キャンピングはハイテン フレーム製のところを、スペシャル


オーダーでクロモリ素材にいろいろ凝ったつくりにしてもらった


自転車でした。)

タイヤがめり込む砂利道だらけの


北海道の道東をメインにキャンプ道具一式を積んで友人と二人で周りました。

さらっと書いていますが、当時の北海道の原生林の真っ只を通る砂利道は、

それこそ、砂利をぶちまけて道路という形を一応取った、位の代物です。

絶対的な交通量が極端に少ないので、

砂利道が程よい具合に踏み固められている道路とは別次元のものです。

路肩が砂利の山になっているので、車が通る部分を走らなければならないのです。

それでもタイヤがめり込むほどのゆるい砂利。舗装道路と比較して、体力を

消費するので一日の行程は、砂利道の砂埃に巻かれて、

大変な難儀をしながら、がんばっても100キロ行くかどうかでした。


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さて、45年程前の話にもどります。

砂利道の旧道(現在は消滅)を汗だくになって、


オンネトーまでこいで、翌日、


阿寒から、網走に抜けました。


で、話は知床なんですが、


当時、斜里から知床半島を


横断して、羅臼に出る


道は無かったんです。

砂利道も何も道路自体が存在していなかったのです。


ま、無いほうが当たり前。


当時、羆がうようよすんでいるから、


山女(北海道ではやまべ)とか


岩魚を釣りに山をこいで


はいっていきたいのはやまやまだけど、危なくて


地元民でも、足を踏み入れることが出来なかった一帯なんです。


自転車のルートとしては、できれば、網走から、


斜里に出て、そこから


知床半島を横断して


羅臼に出たかった。当時中学2年生の


私はそう考えたんですね。


しかし、知床の羅臼というと、さしたる産業も無いそれこそ地の果て


だから、大人になってもそのままなんだろう


って思っていました。


それが、一帯何が起こったんでしょうか。


観光以外に目的の無いというか、

すでに国立公園内に観光目的の


知床横断道路を作っておいて、


自然保護のために(?)世界遺産に登録するって


どういうロジックなのか。このニュースを聞いたとき大変

不思議に感じました。


今回一体何が言いたいのかといえば、


熊なんです。


熊の縄張りの


知床半島に車で入っていって、


当然車の中にお弁当とか


食料とか


いれたまま


あたりをハイキングしたりするんでしょうか。


食べ物のにおいにつられて熊が


車のドアを破って侵入なんてことにならないのか心配してます。


ごぞんじカリフォルニアのヨセミテにも熊はいるんですが、


駐車した車の中に食料を置いておくのは厳禁です。

車から食料を出して、ベアカニスターなる分厚い鉄板で


出来た食料用金庫というか、箱に入れることになっています。




ドアがロックされていても、


車のドアのような薄っぺらい


鉄板は、いともかんたんに


曲げ折ってしまう映像を


見ました。やっぱ、こんな


金庫みたいな代物じゃないと


無理なんです。

人間が不用意に捨てた食べ残しの匂いに

つれられて熊が出てきて、

ハンター出動とかならないことを願っています。

世界遺産に登録したのだから、「知床横断道路を廃道にします」。

という方向には行かないのですかね。




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