2018年7月15日日曜日

MIYATAツーリング車フレーム修理の依頼

昔書いたブログの整理をしていたら、
サンノゼのビルダー、Dale Saso氏の名前が出てきました。
以前連絡を取ろうとして連絡先が不明だったのですが、検索再度トライ。

簡単なホームページが出来ていて、連絡先も出ていました。
こうやってタイミングが良い時は、そのまま進んだほうがよいことがおきるのです。

時計は夕方五時を回っていましたが、即電話することに。

直ぐに電話がつながって、Dale Saso氏本人が出てきました。

1980年代ツーリング車のフロントフォークに付いている
カンチレバーブレーキの台座が片方破断したので修理
してもらえるか、聞いてみました。

鉄製フレームなら持込の修理は受けるけれど、
電話ではどういった状態か不明なので
実際に見てから修理の見積もりを行うということで、
さっそく翌日自転車を修理に持ち込むアポを取りました。

このカンチレバーブレーキの台座が片方破断した自転車、
1984年製のこちらでは Miyata 610として売られていた
ツーリング車です。

故シェルドン・ブラウンが働いていたボストン郊外にある自転車店の
人気ホームページ上で、1980年代に製造されたマスプロツーリング車の中で
最高傑作はSpecializedのSequoiaとMiyataの1000であると
解説しているます。

おそらくそれゆえ、いまだに根強い人気があるMiyata 1000なのですが、
Miyata 610はその中級車の位置づけです。

以前1000と610両方を所有していた時期がありまして、
サニーベルからパロアルトまでの片道約一時間の通勤に
交互に使っていました。

仕事で使うパソコンやら、着替えやら、緊急用の修理道具で
左右と中央3箇所につけたパニアバッグはいつもいっぱいでしたよ。

意外だったのは、荷物をリアのパニアバッグ3個に満載して
通勤の足として日々使用していた状況では、610の重たいフレームの方が
安定感と鋼性が勝っていて、使い勝手が良かったことです。

気に入っていたのですが、
結局610の方を手放してしまいました。
手放した後でものすごく後悔した自転車の1台です。

手放してから5年が経過したある日、クレイグズリストを眺めていたら、
なんと手放したはずのMiyata610が売りに出されていました。

私が所有していた時すでにノーマル仕様から、ハンドルバーにブレーキレバーとシフター
を変えていたので、直ぐに見分けが付きました。
ただ一点5年前と異なっていたのは、フロントのカンチブレーキの台座が
片方もげてしまっていたことでした。

メールで売主に連絡を取ると、やはり私が手放した時と同一人物。
翌日サンフランシスコまで引き取りに行きました。
クレイグズリストに出した売り出し価格に上乗せして代金払いましたよ。
どうやって、台座がもげてしまったのか聞いたのですが、
「友人に貸したら、壊れて戻ってきたので詳細は知らない」とのこと。

おそらく立てかけておいた自転車が転倒した時に、たまたま
カンチブレーキから先に当たったのではないでしょうか。

いずれにせよ5年の時間を経て、私の手元に戻ってきたわけですが、
それから、いろいろな自転車フレームビルダーに修理を
依頼したところ、あまり良い返事がもらえなかったのです。

そんな中で、以前プジョーのタンデム車のドロップエンドが破断したとき
溶接修理してもらったAlamedaに工房がある
ミッケルセン氏に連絡しました。彼の門下生が電話に出てきて、
カンチレバーブレーキの台座が片方だけ破断した修理を
左右両方の台座を付け替える必要ありと、答えてきたので、
修理を依頼しなかったのです。
できれば、破断した片方の台座のボルトの部分だけを溶接修理してほしいのです。

さて、その時Dale Saso氏にも依頼してみようと思ってい
検索をいろいろかけても、
連絡先が分からずじまいでした。

そのうちなにか良い解決策が出てくるだろうと楽観的に
さらに半年ほど手をつけていなかったのです。

思ったような修理をやってくれるフレームビルダーが
いなければ、最終的には、フロントフォークを別物に付けかえるか、
カンチ台座を購入して、細かい作業が出来る
鉄工所に持ち込むかというぎりぎりのところで、
Dale Saso氏に連絡が付いたのでした。
(続く)

最初の2枚の写真は、売主のサンフランシスコにあるマンションにて撮影。







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