2018年7月12日木曜日

> 日本を留守にしていました

インターネットの出現まで、海外で生活するということは
日本からのタイムリーな情報が一切入ってこない状況で日々の生活を
海外の文化の中で送ることを意味しました。

航空便で送られてくる高価な新聞以外は、
通常の印刷物は船便で送られてくるため2ヶ月遅れでした。

そんなわけで1980年代の半ば頃までは、
海外で1年ほど滞在してから、日本に帰国する際は、
飛行機の中で読む雑誌を通して、ギャップをできるだけ修正するのでした。

そんな状況が変わったのは当時のバブリーな日本経済の時代に差し掛かって、
ニューヨークやその他アメリカの大都市で日本の大手新聞社が衛星版を
出したころからでしょうか。

日本とアメリカの時差の関係で、日本で売りに出されるよりも数時間早く
同じ新聞を手に取ることができるというのが謳い文句だったように記憶しています。

そうこうするうちに、日本のテレビ番組をビデオで録画して、こちらで有償で
レンタルする商売が始まりました。日本に協力者が一人いれば成り立つビジネスなので、
まさにぼろもうけビジネスなのです。この日系ビデオレンタル店は、新着ビデオが
1週間後れで届いていましたから、
出版物が船便で2ヶ月後れで到着していたころと比較すると、
ビデオ情報とはいえ劇的な進歩だったのです。



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