2018年8月9日木曜日

ポルトガルパン

以前から話に聞いていたポルトガルのベーカリーに行ってきて、
ポルトガルパンを買ってきました。

お店の人に、「ポルトガルパンを食べるのは、初めて」といって、ちょっと話をしたところ、初めてのお客さんなのでということで、パンを半額にしていただきました。
それだけでなく、おまけに、別のパンも無料でつけてくれました。

「お友達に宣伝してね」
「もちろん、ブログにも書くよ」
ということで、この話は英語のブログにも書いておきましょう。
(The person who served me at the counter was super generous ... みたいに)

お店の人の話によると、こちらで人気の高いハワイアンロールパンの
元祖が、ポルトガルパンだそうです。
このハワイアンロールパンは、ほぼ全てのスーパーだけでなく、
今やセブンイレブンでも見かけるようになりました。

ハワイアンロールパンは、通常のロールパンよりもやわらかくて、ほんのり甘い味がします。お菓子といえば、強烈に甘いものばかりのこのくになので、
この微妙な甘さは、甘さとして感じられていないのでは、と思ってしまいます。





さて、ポルトガルパンですが、ポルトガル本国仕様
なのかとても大きいのです。

パッと見、直径30cmほどありそうな感じ。
包丁で切るのですが、綺麗に切ろうとするとなかなかスキルが必要ですね。

中からやはり覚えのあるハワイアンロールパンの定番
ハワイアンキングのほのかな甘い香りがしました。

一口、ちぎって食べてみると、確かにハワイアンキングのような味。でもこちらが
本家本元なのですね。

映画『ピクチャーブライド』で、1920年代から30年代にハワイに移住した日本人の方々がサトウキビのプランテーションで働く様子が描写されています。

調べてみると、ポルトガルからハワイへの移民は、1878年に始まって、
1900年初頭にはすでにポルトガルからの移民がプランテーションの地主としての地位を確立していたようです。

1800年代後半から1900年初頭の移動手段は、当然ながら帆船で、ヨーロッパから
大西洋を北半球から南半球まで斜めに横切って、
難所として知られるホーン岬を通過し、そこから北上して
3ヶ月以上かかってハワイに到達したようです。

まさに帆船での命がけの航海で、帆船内の劣悪な環境により少なからず子供の命が失われたと記録にあります。

ポルトガル人が先駆者利益で、プランテーションを広げていったところに
単純労働者の働き手として日本人がやってくるという構造は、
日本からブラジルへ移民が始まった
頃の時代を描いた1980年公開の
ブラジル映画『GAIJIN』でも見られます。

しかしハワイの場合、先駆者利益といえば、
地理的に見てハワイからポルトガルまでの距離よりも、
ハワイから日本のほうが圧倒的に近いわけです。
特に当時唯一の帆船の航海ルートを元にしてみると、
比較にならないほど、圧倒的に日本のほうが近いのです。

歴史的観点から見ても
本来は日本とハワイ国の関係がさらに古くからあるわけで、日本人所有のサトウキビプランテーションにポルトガル移民が働き手としてやって来る、と言う流れのほうが、自然に思えます。

歴史が不自然に展開している時は、いろいろ調べてみるのですが、
そんなわけで、
今回も少々突っ込んで調べてみました。

そうすると分かったことは、1800年代末の当時、
日本国はハワイ王からの申し出を断り、
その後ハワイ国が外国勢力の画策により転覆して、傀儡政権となり、
すでにハワイに居住していたアジア系移民の選挙権が剥奪されるに至り、
ヨーロッパ資本の支配が決定的になったのでした。 

「ハワイ王からの申し出を断り」というくだりも、「海外勢力の圧力があり、不本意ながらハワイ王からの申し出を断り」と意訳したくなります。

ちょっとカステラにも通じる味わいのポルトガルパンを食べながら、いろいろな空想が
頭の中を駆け巡ったのでした。







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